地鶏ラーメン研究記

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2014年10月02日
繁盛店の店主となり、後進のための『地鶏ラーメン研究会』を設立!

 

 

現在の『中華そば 阿波家』および『地鶏ラーメン研究会』の味の礎を構築し続けた、この頃の多田さん。多くの常連客から愛されるようになるが、店舗家主との賃貸契約などの関係から店を閉じる不運なケースも数度あった。そして2001年、栃木県野木町に『中華そば 阿波家』が、いよいよ出店される。ネット上などで、多田さんの地鶏ラーメンは大きな注目を集める存在となっており、いざオープンしてみれば、開店前に20人の行列ができる程の賑わい。14店目の出店にして、ついに繁盛店の店主となった多田さんは、翌2002年に『地鶏ラーメン研究会』を設立。指導とのれん分けのシステムを確立し、広く門戸を開いている。


自らも納得のいく美味しいラーメンを、できるだけ多くの人に食べてほしいという想いが根幹にあるため、フランチャイズ化は全く考えていない。目が届き、しっかり把握できる範囲でやっていきたいから直営店を多く出すつもりもない。弟子に対するのれん分けは、加盟料・ロイヤリティーが一切なし。のれん分けされた弟子の務めはといえば、多田さんがつくる『地鶏ブイヨン(宮崎県の地鶏・地頭鶏[じとっこ])』と、前出の『白タレ錦海』を購入し、しっかりと『地鶏研究会』の味わいをベースに、地域に根ざした美味しいラーメンを目指すことだ。


最後に、多田さんの言葉でこの項を締めることとしよう。


「本当にたくさんの失敗を重ねてきたけれど、失敗は一つの勲章でもあると思ってますから。まず、やってみてダメだったら、何かしら一つでも学んで、次に活かせばいいだけ。やろうかな、どうしようかなと10年迷っていたって得るものなど何もない。ただ、なるべくなら失敗しない方がいいのも真実。やる気はあるけどどうしたらいいかわからない。そういう人たちのために『地鶏ラーメン研究会』は存在し、今もなお日々の研究を積み重ねているんです」

 

2014年04月23日
地鶏とシーリ貝、素晴らしい素材との出会い


とはいえ、すぐに事態が好転するような僥倖はなく、その後も多田さんは開店・閉店を繰り返していくのだが、ある時、とある有名ラーメン店が名古屋コーチンでスープづくりしていることを耳にした。これもまた大きな転機の積み重ねとなる。

物は試しと、地鶏である讃岐コーチンの鶏ガラを用い、スープづくりを実践してみた。つくった多田さんの予測を遥かに超える驚きの出来映え。鶏独特のくさみは全くなく、洗練された極上の味わいがスープ全体に及んでいた。


宣伝不足もあって、人気店とは呼べないものの、地鶏が生み出すスープによって味わいのクオリティが段違いに向上した多田さんのラーメン。その評判は上々。あるお客さんから「この味を教えてください」と請われたこともあったのだとか。冗談半分の軽口で「30万円用意してくれたら教えますよ」と答えると、そのお客さんは、翌日、本当にその金額を持参してきたのだそう。そうなると、生来の人の良さも手伝って、多田さんとしては、もう断れない。スープのつくり方を余すところなく、懇切丁寧に指導。そのお客さんは埼玉県で開業し、人気店になったというからおもしろい。このやりとりこそ『地鶏ラーメン研究会』の原型。「スープづくりを教えてくれる」。その噂を聞きつけた数人が、弟子志願者となって多田さんのもとを訪れることになる。


地鶏以外にも、現在の『地鶏ラーメン研究会』の味の礎となる素材との出会いがあった。知人の誘いで岩牡蠣漁へ出かけたところ、誤って、ほとんど市場価値のないシーリ貝を大量に獲ってしまった多田さんは、周囲に失笑されてしまう。しかし、やはり、これも試しと少量を持ち帰り、スープづくりへの研究を重ねると、非常に独特、それでいて素晴らしいダシがとれるという事実に多田さんは辿り着く。

 

こうして公開特許を取得する『白タレ錦海』の重要素材、シーリ貝を手に入れたのだった。

(このシーリ貝については、このテキストの筆者であるkotobukiが綴った、本WEBサイト内のPDF http://www.jidoriramen.com/pdf/200602.pdf を、お読みいただけますとたいへん嬉しいです)
 

2014年04月16日
出店しては閉店の果てなき繰り返し

その頃、折しもラーメンブームのまっただ中。もともと好きだったラーメンを、食べる側ではなく、つくる側として生業(なりわい)にしよう。そう考え、多田さんは冒頭のラーメン屋台を開始する。意外なことに、当時の出していたラーメンは豚骨ベースのコッテリ系ラーメン。軽トラックを改造したラーメン屋台は大成功し、半年間で純利益から150万円を貯めることもできた。「好きなことをやって儲かる商売」と気を良くし、小山市で店舗を開いたが、ここで早くも大きくつまずいてしまう。スーパーマーケットで仕入れる豚骨や、ブロイラーの鶏ガラ。その日の材料によってスープの味が、高いレベルで安定するわけがなかった。繁盛する理由のない、店舗経営の船出。4ヶ月で店をたたむことを余儀なくされたが、その時の多田さんは「立地が悪かったから」、「味のわからない客が多かったから」と周囲にも自分にも言い聞かせ、その後も開店、閉店を繰り返していった。

店が潰れれば、ある一定期間、配送業の運転手などで軍資金を稼ぎ、足りなければ消費者金融(いわゆるサラ金)から借金してでも出店を続けた多田さん。兄弟、親戚からも厳しい口調で「いいかげんにしろ」と叱責され、最大の理解者である奥様からも「お店は諦めて、どこでもいいから会社勤めをして」と懇願された。さすがに廃業を決断し、最後の営業日として迎えた日。材料も吟味を重ねてつくった渾身の一杯に、あるお客さんが「こんなに美味しいラーメンは初めて」との嬉しい言葉をもらい、「やはり自分にはこの道しかない」と翻意したのだが、あの時のお客さんの一言がなかったら、『中華そば 阿波家』も『地鶏ラーメン研究会』も存在しなかったはず。そう考えると非常に興味深い。

その後も数店舗をオープンしてはたたんでいくのだが、一つの転機として、多田さんは、味の方向性を変えることに。その時のことを振り返る多田さん。

「6軒目の店を潰した時に、自分の甘さに気づいたんですね。それまでは、お客さんに愛される味ではなく、自分が愛する味を追求していれば、勝手に繁盛するもんだと考え違いしていた。自分に酔っていたのかもしれません」

そこで考え方を180度変え、自分の好みを重視するのではなく、材料を吟味し、老若男女の誰もが美味しく食べてもらえるアッサリ系のラーメンを目指すことになる。

 

2014年03月28日
『地鶏ラーメン研究会』を創設した、多田広志という男

  ~ 地鶏ラーメン研究記 ~【3回】 

 

[失敗店主が見出した、ラーメン店を成功させるための逆法則]

 

 


地鶏ラーメン研究会・代表の多田さんは語る。



「1985年に屋台で始めたラーメン屋がうまくいったもんだから、これならいけるだろうという感覚になっちゃったんですよね。栃木県小山市の借り店舗でお店をオープンしたのを皮切りに、1998年までで、1店舗目の屋台も含め13店舗を開店しては閉店させるの繰り返し。

だいたい1店舗につき、3ヶ月から6ヶ月しかもたない。さすがに13店舗目を畳んだ時には、ほとほと何もかも失ったなあと実感しましたね。しかし同時に、様々な失敗した経験のパターンを分析した結果、こうしたらダメだ、こうすればうまくいく、という、失敗しない店の法則も見えてきたんです。

自分なりにこの法則を突き詰めて、独自のノウハウを確立。これからラーメン屋で頑張っていきたいと考える人たちが、自分と同じ轍を踏まなくて済むように。地鶏を活用した奥深い、誰もが美味しいと感じてもらえるラーメンを広められるように。この想いで、成功するラーメン店の総合プロデュース会社『地鶏ラーメン研究所』を2002年に発足しました」

ではまず、多田さんが屈指の名ラーメン『中華そば 阿波家』に辿り着くまでの、様々な失敗にまみれたというラーメン人生を振り返ってみよう。

ラーメン店経営以前から。労協の名門校・本郷高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊し、2年間の勤務。除隊後には、スイミングセンターの水泳インストラクターをしながら、夜になるとプロボクサーを目指してボクシングジムへと通う。プロテストに合格し、プロボクサーとして後楽園ホールのリングへも上がった。

しかし周囲のプロボクサー、またボクサー志望の人間を観察するうちに、自身の甘さ、ハングリー精神の足りなさを認識し、身を引くことを決める。そこからは30歳間際までの約10年間、水泳インストラクターとして生計を立てていく。上司からは管理職へのステップアップを勧められるが、このまま仕事を続けることに疑問も感じていたという。

2013年12月25日
新店舗オープン!!

東京都町田市に新店舗「七里香」がオープン致しました。

皆様のご来店を心待ちにしております。よろしくお願い致します。

【住所】 東京都町田市金森東1-11-1
【電話番号】 090-2232-3348


店舗

塩ワンタン麺

 

お問合せ 電話番号0280-31-4633

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